MY HERO’S INTERVIEW

GUEST プロフィール
勝村えみ子
1963年 岩手県陸前高田市生まれ
岩手県立高田高等学校、青山学院大学出身。モデル、専業主婦(15年間)を経て大手レストラン事業会社社長秘書、広報、芸能プロダクションマネージャー、キャスティングディレクターとして活躍。大学時代塾講師の経験をもち、東日本大震災をきっかけに、現在は日本語学校教師として教壇に立つ。ご主人は俳優の勝村政信さん。そして二十歳になる一人娘がいる。


えみ子さんとは“admires”「褒めあう会」という大人の友達が集まったグループの仲間。かれこれ十数年来のお友達です。美しくて清らか。そして穏やかで、大人の気遣いが出来る。頭脳明晰だから話がブレない。的を射たコメントもさすが。しかも遊び心も持ちあわせている、是非お手本にしたい私の憧れで大好きな女性です。

MY HERO’S INTERVIEW

NO.1 私が育ったところ。

立河:今日はよろしくお願いします。早速ですが陸前高田で生まれたえみ子さんはどんなご家族の中で育ったんですか?

勝村:うちは商店街にあったんだけど、父方の祖父母が始めたインフラの工事を請け負ったり、住宅の水回り、陸前高田の産業の一つでもある農業のための農機具販売、修理、そういったものを扱っている商売をしていたんです。

立河:ご商売をしていらしたの。

勝村:うん。そこで母は事務の仕事をしていたの。だから子供の頃私は、両親って働いているものだと思っていたの。働いていると言っても住居兼仕事場だったから仕事はしていても家に帰れば両親はいてくれるという環境でした。小さい頃はおばあちゃんが私たち子供の面倒をみてくれていたの。すぐ近くに両親はいるから行けば話もできるし、仕事をしている姿も見せてもらっていました。

立河:お仕事をしていても近くにご両親がいるのは安心だね。えみ子さん、ご兄弟は?

勝村:私が長女。2つ下に弟がいて、私が小学校に上がった年に妹が生まれて。3人兄妹。妹が生まれるまでは弟とやんちゃに遊んでたの。

立河:姉弟でどんな環境の中遊んでいたの?

勝村:私の家があったところはその街でも一番のメインストリートでいわゆる商店街。ちっちゃいけどね。(笑)だから、そんなに野山を駆け回っていたって感じではないの。

立河:町の中で育ったんだ。

勝村:うん。3階以上の建物もなく、ファストフードもなかったけどね。友達の家がビリヤード場を経営してたり、本屋さんやレコード屋さんもあったよ。小高い丘の上に公園があったからそこでも遊んだけど、家から15分くらい歩いたところが海だったから、海でもよく遊んだな。

立河:そうなのね。姉弟ではどんな遊びしていたの?

勝村:よくやったのが“ゴッコ遊び”(笑)

立河:なにそれー?(笑)

勝村:私と弟で外国人になりきるって遊びが流行ってたの。(笑)

立河:あははははは!

勝村:“英語もどき”を話すの。小学生だから英語なんて知らないわけ。でもこんな感じだよね、なんて言いながら適当なこと話して。今思えばバカだよなーって思うけどね。(笑)

立河:あはははは。私も兄と中国語ごっこしてたことある。(笑)

勝村:レコード屋さんでEP版を買ってもらって、小さなおもちゃのようなレコードプレイヤーで一生懸命歌を聴いたりもしてたな。

立河:どんな歌を聴いてたの?

勝村:当時は百恵ちゃんや御三家(郷ひろみさん・西城秀樹さん・野口五郎さん)、それこそピンクレディーは弟と踊ったよね。(笑) あとは習い事をいっぱいしてた。お習字、そろばん、ピアノ、英語塾とか。

立河:英語塾!今となっては英話もマスターして外国人の日本語講師をもするえみ子さん。弟さんと英会話ごっこしてたってことは、子供の頃から英語に興味があったの?

勝村:そうなのかも。英語塾に通うようになったのは誰かに勧められてだったと思うけど。だってね、子供の頃は“生”の外人さんなんて見たことなかったから会話は想像でしかなかったのよ。(笑)

立河:生!あはははは!確かに、私たちが子供の頃は外国人って東京でも珍しかったなぁ。

勝村:映画で観る人たちくらいよね。それで私が通った塾は英会話ではなくて、文法をスパルタ的に教わるところだったの。一つの単語を100回書きなさい、これを暗記しなさい、発音を発音記号通りに読みなさい、みたいなね。 中でも難しかったのは、”girl”。これをなんて読む?

立河:ガール。

勝村:だよね。(笑)rlの発音が難しいんだけど、それができると先生や友達に褒められて。そこで私は木に登ったのよ。(笑)初めて学校で英語を勉強する中学校の時の先生が“ミセス佐藤”って岩手県の日本人の先生だったんだけど、発音をすごく大切に教えてくださったので少しずつ英語が上達して行ったのね。

立河:褒められると嬉しいもんね!

勝村:そう。そのあと英検を取ったりしてね。大学で2級まで取ったけどそれ以上は何のために取るのかわからなくてやめちゃったの。っていうか、大学に入ってから遊んじゃって?(笑)もう30年以上前の話。大学卒業してそれだけの年月が経ったのよね。

MY HERO’S INTERVIEW

立河:もう30年前かぁ。えみ子さんが50歳の誕生日を迎えた時、本当に美しくて素敵な年の重ね方していてみんなで感心してたんだよね。

勝村:本当に普通よ?だって、「こう見えて私57歳、65歳」とかってテレビにキレイな人は沢山出てるじゃない?

立河:うん。確かにね。でも、私はね、テレビで“こう見えて”っていう女性が出てると、どうしても外見だけの演出の匂いがして嫌いなの。女性の美しさって、考え方や生き方が現れるものだと思ってるから。私ね、テレビや雑誌に出ているえみ子さんも知ってるけど、普段のえみ子さんを知ってるでしょ?つまりは、えみ子さんってギャップがないの。人前に立っていても、友達といる時もいつだって気負わずフラット、自然体なのね。それがまた美しいわけ!

勝村:不自然だったらおかしいよね。(笑)

立河:あははは!そうやってちょいちょい面白いことも言うじゃない?本当に内から滲み出る美しさがえみ子さんにはあると感じるの。

勝村:中身が追いついてないのよね。(笑)世の中の50代って言ったら、色んなことにプロフェッショナルでしょ?話すことにすごく重みがあるわけ。なるほどーって思うことが沢山ある。でも私ったら中身がね・・

立河:またまた!それはご謙遜。えみ子さんもプロじゃない!私はえみ子さんの頭のいいところ、回転の速いところ、尊敬してるの。えみ子さんてね、私は私は!って出しゃばらないの。話を聞いてくれるし、メールで質問をした時に端的にわかりやすくきちんと答えてくれる。

勝村:相手によって違うけど、私、メールの返信、1行の時もある。(笑)時間の節約もあるしね。(笑)

立河:あははは。本当にね、返してくれる答えにピントが合ってるから気持ちいいの。なんか、普段から気をつけてたりする?

勝村:自分がされた時に気持ちいいことを意識してるかな?

立河:それが私にとっても気持ちがいいんだなぁ。話が逸れちゃいましたが、英語ね!この文法も含めた会話術を会得したのは大学生の時?

勝村:そうね。それまでは話す機会がなかったのよ。私の住んでた町には外国人はいないし、先生とは会話というよりやっぱり教科書通りの文法、発音を学んでただけだからね。実際に初めて外国人と話したのは上京して大学に入ってからだもん。

立河:大学は青山学院大学だよね。初めて外国人と話した時、どうだった?

勝村:専攻が文学部英米文学科=英文科だったんだけどね。そこには外国人の先生がいたのよね。そこで初めて話すことになったんだけど…

立河:もう、ベースができてるから一気に話せたでしょう?

勝村:ううん!「は?何て仰いました?」って感じだったのよ。(笑)やっぱり文法や発音の勉強と会話は全然違うもんね。耳が慣れてなくて。だから、英会話を習ってみようと思ってアメリカ人の先生を見つけて教えてもらったりしたんだよね。そうそう。中学の時はビートルズの音楽を聴いてた!それで、「Yesterday」の歌詞を書きだして勉強したこともあったな。ポールマッカートニーにファンレターを書いたこともあるの。

立河:へぇ!届いたかなー?

勝村:届いてるといいな。(笑)

取材/文 タチカワ ノリコ
Photo Kaoru Yamamoto

MY HERO’S INTERVIEW

To be continue Vol.2

MY HERO’S INTERVIEW

⇒【バックナンバー】