MY HERO’S INTERVIEW

GUEST プロフィール
鈴木千夏
1966年生まれ。株式会社ナチュラセンス・ジャパン/ NATRASENSE AUSTRALIA代表。オーストラリア在住(1994年〜)。主に海外のオーガニックプロダクトなどの輸入販売や、商品プロデュースなどを行う。
最近では日本の健康ブームの影響もあり、12年前からオーストラリアで手がけてきたココナッツオイルの自社ブランドが人気となり、日本にも活動範囲を広げている。

また渡豪前に携わっていた仕事(主にテレビ番組のリポーターやMCなど)の経験を活かし、オーストラリア/日本をベースにオールマイティな司会業、またそれに関連したイベント企画・運営を行うなど、人と人、国と国との「コミュニケーター」として活動することをライフワークとしている。
http://natrasense.com
http://organic-australia.com

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NO.3 他民族文化で学んだこと

立河:オーストラリアでの子育ては異文化だし、苦労もあったでしょう?

千夏:オーストラリアは肌の色などに関わらず、多国籍の人を受け入れていて国民の50%以上が移民だから色々なお国の子がいるのね。アジア人でも各国の子がいる。白人でもレッドヘアの子もいればラテン系やオリーブスキンでグリーンアイズの子もいる。ハーフやクォーターの子たちも多く、当然、ママ友も色んな国々の人なのね。だからそこでも沢山カルチャーショックを受けたよね。考え方も違うしね。

立河:ここで人種差別はないの?

千夏:多少はあるのかな。オーストラリアは60年代まで白豪主義というのがあって白人が優位な国だったのね。すごい田舎の方へ行くと、いまだに私たちアジア人に対しておもむろに警戒する人もいるし、その気がなくても、日常の会話の中で差別的な言葉を無意識に使う人もいるの。最初はいちいちカルチャー・ショックを受けていたけどそれを気にしていたら生きていけないのよね。これだけの人種がいるから仕方ないよね。とは言っても、シドニー、メルボルン、ゴールドコーストなど都会ではあまり感じないよね。そういう経験があったからこそ外から見た日本、そして日本人という意識も持つようになったの。何れにしてもオーストラリアは寛大な国よ〜。移民に対しても地域社会のサービスとか雇用機会なども平等に与えられるように法律で守られているから移住する人も多いの。

立河:強いなぁ。子供達を育てるに当たって苦労したことは?

千夏:いくらマルチカルチュアルなお国柄とはいえ、日本で生まれ育った外国人の私がオーストラリアで子供を産んで育てているというのは挑戦。中でも一番心配したのは子供の心。ハーフの我が子が「私、何人なの?」みたいになったらどうしようかと心配したよね。それこそアイデンティティはなんですか?私はオーストラリア人なの?日本人なの?って聞かれたら何て答えるのがベストなのだろう?と色々考えた。私はこの国で育っていないし・・・とこう見えて私真面目だから(笑)結構真剣に考えたのね。

立河:その答えは見つかった?

千夏:うん。何度も考えた結果、用意した答えは、もし、私は何人なの?と聞かれたらあなた達は人種や言葉の境界線の前に「地球人なのよ」って伝えようって。でもね、そんな質問も時期もなく育ってくれたので、結果島国育ちの私の取り越し苦労だったけど。(笑)

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立河:素晴らしいね!

千夏:しかもね、この子達の世代はミックスが多い時代だから、世の中には人種による差別があることも小さい頃からわかっているし、無邪気な子供の「いじり」みたいなものはそれなりに存在するのだけど、その変はとっくに受け入れていて、逆にジョークみたいにして面白がっている感じよ。他国文化の中で育つってすごい!私にはない感覚。本当強いよね。

立河:彼女たちは本当に明るくて強いよね。二人ともすっかり大人になって。

千夏:そう。上が20歳、下が18歳なのだけどこれからの時代はやっぱりグローバルに生きていって欲しいし、私たちもそういう考え方を持っていた方がいいのかなとも思うのね。だから子供たちのそのタフな姿を見て思うことは、身近の大切にすべきことはする。でも世界に羽ばたいていってもらえるといいなって思うのよね。

立河:そうね。色んな文化に触れているからこそ、子どもの頃から順応性も養われているでしょうし。こうして子育てをする一方で千夏さんはまた仕事も復帰して?

千夏:下の子が幼稚園に入った頃、地元の健康食品のメーカーで社会復帰したのね。日本マーケティングの仕事だったんだけどそこでまた英語を使うようになって、それと同時にご縁があってサーフィンやライフセービングの仕事にも携わったの。

立河:サーフトリップの仕事をしてましたよね。

千夏:そうそう。シェイ・ホランさんという世界チャンピオンのサーフィンスクールで日本窓口を担当したり、サーフトリップを企画・運営したり、その繋がりでライフセービング・クラブにも関係するようになり「教育プログラム」など7年くらい関わっていたの。

立河:それはどんなお仕事ですか?

千夏:簡単にいうと「楽しく伝える海のルール」かな。実は観光客がオーストラリアの海に入って流されライフセーバーに救助されることって多々あるのね。知らぬ間に流されている。間違えたら命取りよ。もちろんカレントがきついというのもあるけど、そもそも我々って海のルールとか知らないよね?オーストラリアではね、うちの子供達もやっていたニッパーズという4歳から13歳までのライフセービングのキッズ・トレーニングがあったりするので小さい頃から海に慣れ親しんでいる子が多いし、小学校にもライフセーバーが来て海教育をしてくれるのよ。でも日本はそういった教育が少ないものね?なので、主に日本人の学生を対象にライフセービングの歴史や、海のルールなどその時々のhow toを教えるということを仲間やライフセーバーたちと教育プログラムとして企画・運営していたの。

立河:確かに知らないです。私も若い頃は何度流されて怖い思いをしたことか。

千夏:私たちの気持ちとしてはオリエンテーションや遊び、地元の彼らとのコミニュケーションを通して、日本の子達にも海のことや、ライフセービングの活動など理解して、日本に帰った時に役立ててもらえたらと思っていたの。海は自然なので怖いこともあるという意識を持つ活動なんだよね。

立河:なるほど。それは思い出にも残るし、いい経験になりますね。そうした活動を通して千夏さんにも変化があった?

千夏:そうね。この7年間でオープンなサーファーやライフセーバー達との活動によって英語の壁が拓けたっていう実感があるのよね。当然、単語も覚えなきゃならない、勉強をすることは前提なのだけど、自信が持てなかったという気持ちが外れたという感じだったな。

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立河:その時から自分の思いや考えを英語でちゃんと表現できるようになってた?

千夏:そうね。まあまあ、その前からできていたのかもしれないけど、自分の中でしっくりきたのはその時代だったのね。 「オーストラリアに慣れた」というのもあるんだよね。例えばね、一緒にお仕事していたシェインは当時まだ現役だったので波が上がる=サーフィンしなくてはならない!・・という理由で打ち合わせが入っていても来なかったりするのよね。(笑)最初はいちいちイラっときていたけど、経験を積むにつれ、そうした彼らの気質も理解できるようになったのよ。もちろん、電話して怒るんだけど言わないと相手に通じないので、そのスキルも身についたのかもしれない。(笑)

立河:あははは。本当に千夏さんって大胆でアクティブだよね。(笑)

千夏:そうなのかなー。確かに、向こうに住んで知り合う日本人ってアクティブで濃い人が多いのよー。(笑)生き抜きをかけて(笑)色んなことに挑戦する人が多い。私自身のことで言ったら、まさかサーフィンの仕事をするようになるとは思わなかったしね。健康食品の会社に12年も勤めること、それも挑戦をし続けるということよね。

立河:千夏さんって、なんだかプレゼンをするために生まれてきた人のような気がする。(笑)

千夏:そう?でもね何を一番得意として何ができるか時々わからなくなるのよ。(笑)

立河:人に何かを訴えることにすごく説得力を持ってると思うの。

千夏:キャラよね。最近更にキャラが濃くなってると思う。(笑)日本は情報がとても整理されているような気がするの。例えばオージーと意見交換みたいなことをしてると「No!」って。あなたはそうでも私はこっちへ行くわよ、別にあなたに決められたくないわよ、みたいなところがあるの。我が道を行く人が多いから、そういった影響を受けたかもしれない。(笑)

立河:なるほど。私もその精神を学びたいです。性格もありますが、やっぱり日本だけで暮らしていて、そして特に昭和の両親に育てられたから、どうしても保守的になっちゃう。それが「美しき日本人のあり方」みたいな教えもあったし、「古風」がよしとされるからね。でもどこかフツフツとするものはずーっと感じて生きてきてる。自分でいつしか決めてしまった枠から思い切り外れたことをしてみたい衝動にかられるの。で、たまに中途半端に外してみて大後悔するの。(笑)やっぱり親がこう言うからとか世間がこうだからって、どこか人に嫌われたくないもんだから、一般的な常識とか情報に従ってる矛盾した自分がいます。だから、千夏さんを見てるとね、海外に飛び出すと千夏さんみたいになれるのかな?って憧れますね。

千夏:当然、いろんな国の人がいるおかげで、沢山の刺激を受けると思うよ。全部カルチャーが違うから勉強になる。個人主義文化なのだけど、もちろん、日本のすばらしいカルチャーもあるからそこは使い分けをしていかないとね。例えば、日本に帰ってきて仕事をする時は、オーストラリア式だとみんな引いちゃうよね。(笑)実は何回もそれで失敗しているのよ。

取材/文 タチカワ ノリコ
Photo Takeru

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To be continue Vol.4

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