MY HERO’S INTERVIEW

今月のゲストは昨年まで北海道FMラジオAIR-G、杏子のSence of Beautyの美容コーナーを担当させていただいていたときにお世話になったラジオ制作・プロデューサーの桜井聖子さんをゲストにお迎えします。包み込むような優しさの中に芯の強さを感じる、同じ女性として、人生の先輩として尊敬している桜井さんにアイデンティティを伺います。


GUEST プロフィール
桜井聖子(さくらいきよこ) Kiyoko Sakurai
1958年生まれ。有限会社 さくら 代表取締役。 日本大学芸術学部放送学科卒業。(株)テレコム・サウンズ入社、J-WAVE、TBSラジオ、FM横浜、InterFM897、JFM)イベントの企画・制作・プロデュース。放送批評懇親会理事・企画事業副委員長。

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Vol.2『目的とご縁で進んできた人生』

立河:ラジオのお仕事はいつからなさっていたんですか?

さくら:大学を卒業してすぐにラジオの仕事をしていました。 振り返ってみると、私の人生は全部目的があるの。幼少期は別として、自分の意思というものを汲み取ってもらえる年齢、中学を卒業するころから自分で選択してたの。私はバスケットボールをやっていたので、その時に1・2トップで組んでいた一つ上の先輩が入学した高校に行ってまた一緒にバスケがしたかったの。ところが担任の先生はお前の偏差値じゃ合格するのは難しいと思うから滑り止めも受けておきなさいって。でも結果は先輩のいる高校に合格して、3年間またバスケができたのね。その時の目的は、高校はどこでも良かったんだけど、先輩とまた一緒にバスケがやりたくて同じ高校に入ることだったの。

立河:先輩を追いかけて行っただけ?

さくら:そう。だからね、その高校がどんな学校か調べもせず受験して入学したの。入学式当日に聖典と珠数を渡されたのね。仏教学校だったの(笑) 次に大学を選ぶ時は高校3年間バスケをやっていたからそのまま大学でもやるつもりだったんだけど思ったより背が伸びなかったから限界を感じたの。その女子校にはエスカレーター式で女子大があったんだけど、実は女子ばかりの世界はもうお腹いっぱいだったのね。

立河:どうしてですか?

さくら:だってバレンタインの時は女子がいっぱいチョコレートくれるんだもん。バスケ部でキャプテン、それから生徒会長までやっていて目立ったからだとは思うんだけどね。

立河:あははは!キャプテンに生徒会長!それは誰もが憧れる格好いい先輩の代名詞ですよ。私も中学から高校・専門とエスカレーターでずっと女子校。だからよくわかります。女子校は先輩に憧れたりして、そういうことしたりされたりしますもん。(笑) だからさくらさんに憧れてる女子が沢山いたんですね。そうかぁ…その時から人望があったんですね。

さくら:いえいえ。勉強はできなかったけど、そんなわけで名前はみんなに知られてたのよね。

立河:そうは言っても何かないと生徒会長にもならないですよね。

さくら:これがまた…ね。(笑)私の人生ってね、自分で仕掛けて何かなるっていうのではないの。生徒会長になったのもたまたま。バスケ部の先輩が選挙管理委員だったの。選挙は立候補者が3人出ないと成立しないの。その時点では中学から上がってきてお勉強のできる2人が立候補してたんだけど、残りの1人がなかなか出ない。ある日、体育館で先輩が「おーい桜井、名前借りるぞー」って言うからなんのことだかもよくわからず、「はい、良いですよー」って答えたら、翌日立候補者のところに私の名前があったの。(笑)

立河:ほら、さくらさんが生徒会長に当選したということはやっぱり人望があったんですよ。

さくら:うーん。やるからには選挙演説とか所信表明をしなきゃならないからね、それはしました。(笑)生徒会費がどんなことに使われているかみんなに把握してもらいたかったのね。

立河:高校生でその考えが思い浮かぶって、「できる」子だったんですね。

さくら:何度も言うけど、勉強はできなかった。(笑)「正しい」ということが好きなわけでもなく、「なんでだろう?」と思うことは好きなのね。

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立河:疑問に思うことを訴えるのが好き?

さくら:訴えることはしないの。疑問に思うことを言葉にするのが好き。

立河:そこがみんなに、私もそう思ってたの、と賛同される所以なんですよ。

さくら:そんなわけで高校では2年生のとき生徒会長をやっていたんだけど、ある日、文化祭でバンドをやりたいという話が出たの。仏教の学校だったからバンドはなかなか受け入れてもらえない。でも、文化祭は聖歌隊ばかりではなくバンドがあったらもっと楽しくなるんじゃないかと提案して。私が先陣切ってやればみんながやりやすくなるでしょ。それで声をかけたらクラスの仲間がやりたいということで、女の子3人組のバンドを組んだの。

立河:さくらさんがバンド?パートは?

さくら:私はギターとボーカル。

立河:へえ!そうやって学校内で新しいことも始めたんですね。大活躍の高校時代を経て大学への進学はどうやって決めたんですか?

さくら:何か特化した勉強がしたいわけでもなかったのね。何度も言うけど勉強ができなかったから。(笑)大学は友達作りだと思ってたの。そこで日本大学芸術学部があるのを初めて知るわけ。カリキュラムを見ていると面白そうだから私はここへ行くって決めたのね。

立河:日本大学芸術学部は何を学ぶんですか?

さくら:今はもっと学科数が増えたと思いますが、当時は7学科、文芸・映画・写真・放送・演劇・美術・音楽があったの。それで私は放送・映画と受験して放送が補欠合格、映画が合格だったから映画学科に進んだの。ところが自分で選んだ道だけど、入学早々、私はここいいてはならないと思ったの。なぜなら周りは映画大好き人間ばっかりだったから。スポ根だった女子がフランス映画見ていました、8ミリで映画撮っていました、フェリーニがどうこうみたいな世界に投げ込まれてみなさい。さっぱりわからない。チンプンカンプン(笑)それで2年に上がるときに放送学科の転科試験を受けたの。映画学科入学早々、違うとわかったからすぐに学生課に相談しに行ったのが良かったのね。転科したいのなら、この1年今いる学科でちゃんと勉強しなさいってアドバイスをもらって。ここでちゃんと成績を残さないと、学校側は転科してもまた勉強しないという判断されるから。狭き門だったけど転科試験に合格して晴れて2年生からは放送学科で勉強することができました。

立河:さくらさん、勉強できないっておっしゃるけれど、ご自身で目標ができると猛進するパワーが人並みはずれてるんですね。

取材/文 タチカワ ノリコ
Photo Takeru

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