MY HERO’S INTERVIEW

GUEST プロフィール
岩城哲哉さん
1953年 東京都墨田区向島生まれ
1977年武蔵大学経済学部卒業。
新光紙器(現BEAMS)に入社。同社取締役を経て退社。1989年重松理氏らと共にユナイテッドアローズ設立に参画。2002年、東京証券取引所、市場第二部に株式を上場。取締役副社長、代表取締役社長を経て2012年、相談役となる。現在、株式会社ニュー・ビジョン代表取締役社長。
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岩城さんとは知人のご紹介を受け、以降公私ともにお世話になっています。スタイリッシュでいらしていつも飄々とし、物事に動じない。それでいて気さくに可笑しなお話をしてくださいます。ユナイテッドアローズというアパレルブランドをグローバル化させ、成功させた見事な手腕ながら持ち前の飄々としたキャラクターで常に次世代を見つめ様々な角度からチャレンジを続けていらっしゃる、岩城さんのアイデンティティに迫ります。

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Vol.4 アイデンティティは日の丸。そして。

立河:これまでビジネスを大きくされたきっかけや岩城さんを奮い立たせるのは何でしょうか?

岩城:それは日本を豊かにするという目的から始まっています。“商業界”といって敗戦で焼け野原だったときから始まった、国際社会にも通用する国土を作るんだという商売人の集まりがあるんです。

立河:それはどんな目的の集まりですか?

岩城:『金さえ儲かれば何をしてもよい式の商売から、「お客のための正しい商いに転換しよう」すべてのお客に対する公平公正な商い、現金正札販売(掛売りをせず、計数管理の徹底で利益を押さえ、最低の価格を常に維持すること)、嘘や隠し立てのない経営、パートナーとしての社員の育成といった、後に「商業界精神」あるいは「倉本イズム」とよばれるようになった。』と書かれています。(商業界ホームページより引用)

立河:私も読ませていただきました。つまり国民あっての商売。それが国家のために働くぞ、ということですね。とても感銘を受けました。国際社会へ飛躍するとなると国をも背負う覚悟なんですね。

岩城:日本人として日本を大事にしたい。日本人のアイデンティティを大事にしないと世界、グローバルの中でやっていけないんですよ。

立河:やっていけないとは?

岩城:日本人としてのブレないものがないと世界で通用しません。ナショナリティの中で何人であるから癖や考え方など文化の違いがあるという話になるわけです。その中で日本の美意識や価値観に気がつきました。日の丸だもんね。若い頃は星条旗がいい、ユニオンジャックが格好良いというのもありましたが。

立河:なるほど!岩城さんが一貫しておっしゃっていること、大事なのはブレないこと。日の丸にも日本の歴史が刻まれていますよね。そして戦後まだ商業が安定しなかった背景も学び、好景気の時代を体感する中、世界に目を向け経済はもちろんのこと、日本のファッション界の技術やクオリティ強化に一役買われたバイタリティは素晴らしい功績ですよね。

岩城:だから、今の会社では日の丸の国旗を飾っているんです。こうして次世代にも受け継いでもらえたらと思います。

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立河:では岩城さんのアイデンティティは?

岩城:このインタビューを受けるにあたってずっと考えていたんです。アローズは病気療養中の妻をサポートするために58歳で代表から降りたんですね。それから“本職”=アイデンティティがなくて困ってるんですよ。なので、こうして話をしながら僕のアイデンティティを明らかにしてもらおうと思ってインタビューに臨んでいるんだよね。(笑)

立河:これまでビジネスのお話を伺わせていただきました。少し岩城さんの経歴を教えてください。ご出身は下町、墨田区の向島だそうですね。

岩城:向島の出身だから料亭、芸者の街。下町の独特な文化のあるところで育ちました。

立河:知人に岩城さんはお子さんの頃から秀才だったと聞きました。

岩城:頭は良かったんですよ。(笑)歌と美術が3、4だったけど、あとは5でしたね。

立河:それは勉強をしていらしたんですか?

岩城:授業を聞いてるだけです。多分、集中はしてたんですよね。高校からは勉強がついていけなくて落第しちゃってね。部活でバスケをやって。大学に入ってからは当時のラグビー部キャプテンが両国高校の同窓生だったので強制的にラグビー部に入らされましたが1年で辞めました。(笑)2年のときはサーフィンにはまり、3年、4年はバイトしてましたね。

立河:そしてアローズへと繋がっていくんですね。岩城さんは幅広く色んな経験をしていらして。決して自慢することもなく訥々と語ってくださっていますが、誰でもできることではない成功を納められていらっしゃる。

岩城:下町生まれで、テキ屋の手先をやったこともある優等生でした、途中で落第してBEAMSからユナイテッドアローズを設立、上場して社長もやりました。でも本当は定年の60歳まできっちりやればよかったけど半端に辞めてしまいました。だから実は結構“半端”なんだよね。

立河:ご自身ではこの経歴を半端だと?

岩城:うん。でも何でも首を突っ込んで気に入ったら猛進していく。結果よりもとにかくこれと決めたら行動する。極端なんですよね。それで人に言われたくない。(笑)

立河:ご自身で選びたいんですもんね。

岩城:そう。反骨というのかな。なんで人に決めてもらわないといけないの?と。昔、力道山の記事があってそのタイトルが「そうはいくかい」でした。力道山は力士になったけれど、国籍のことがあり当時迫害で差別にあって結局相撲界では出世できないことがわかって潰されそうになった時のセリフ。「そうはいくかい!」っていう言葉だったんです。今思うと、僕もその精神で生きてきたように思います。

立河:この屈しない岩城さんの生き方がアイデンティティにつながるのかと。これだけの成功を納められていても失敗を恐れず休むことなく次の目標に向かって突き進んでいらっしゃる。

岩城:お金やファッションはあればそれなりに利用するけど、なかったらしょうがないもんな。って思うんです。大事なのはそういうのではなくてさ。と。

立河:大事なもの?

岩城:やっぱり、家族や仲間ですよね。あとは自分自身。それさえあればどうにでもなる。あとは余計なもんだよ。と思っているんです。

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立河:岩城さんのベースとなるアイデンティティはそれではないですか。家族、仲間、そしてご自身。失礼な言い方ですが、岩城さんの人生って面白いですね。今回インタビューさせていただいて飄々とした佇まいの中にたくさんの経験と引き出しをもって生きていらしたんだなと感じました。

岩城:そうかな。こんな浅はかなのに。(笑)

立河:浅はかなところもありますけど。(笑)

取材/文 タチカワ ノリコ
Photo 北杜 薫

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次回は、新しいゲストをお迎えいたします。お楽しみに!

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