MY HERO’S INTERVIEW

GUEST プロフィール
鈴木千夏
1966年生まれ。株式会社ナチュラセンス・ジャパン/ NATRASENSE AUSTRALIA代表。オーストラリア在住(1994年〜)。主に海外のオーガニックプロダクトなどの輸入販売や、商品プロデュースなどを行う。
最近では日本の健康ブームの影響もあり、12年前からオーストラリアで手がけてきたココナッツオイルの自社ブランドが人気となり、日本にも活動範囲を広げている。

また渡豪前に携わっていた仕事(主にテレビ番組のリポーターやMCなど)の経験を活かし、オーストラリア/日本をベースにオールマイティな司会業、またそれに関連したイベント企画・運営を行うなど、人と人、国と国との「コミュニケーター」として活動することをライフワークとしている。
http://natrasense.com
http://organic-australia.com

MY HERO’S INTERVIEW

NO.1 ピンクレディが変えた

立河宜子(以下、立河):千夏さんとは長い付き合いで、もうかれこれ知り合ってから24年くらいかな?昔からアクティブで元気いっぱいで太陽みたい。こんな千夏さんの生い立ちは?

鈴木千夏(以下、千夏):生い立ちね。子供の頃は驚くことに体が弱くて、周りからは「骨皮筋子」と呼ばれていたの。(笑)食べても太らないし、すごく細かったの。小学生の低学年の時はすぐに具合が悪くなってたのね。でも高学年になってからは水泳やマラソンの学校代表の選手になるほどまで体力がついてたの。(笑)

立河:体の弱かった子が学校代表?すごい!体力がついたきっかけは?

千夏:きっかけは「ピンクレディ」よ!ものすごく流行ってたじゃない?振り付けを覚えるためにテレビを観ながら踊るの。その時代ビデオなんてなかったから一回で必死に覚えなきゃならない(笑)覚えた限りをまた何度も練習するでしょ。その辺からそれまで温存していた体力がメキメキと!マラソンも走れるほど体力がついていったのよね。

立河:へぇ。

千夏:5、6年生の時の担任が元濱先生と言って、音楽の好きな先生だったの。私、エレクトーンも習っていたのよね。それが結構うまかったこともあって(笑)私の力を出す場を与えてくれたりしたのよね。同時にピンクレディの振り付けにも磨きがかかってきていて(笑)当時、デパートの屋上でピンクレディ大会なんてやっていてそれに出場してね。その頃からアクティブになったの。今の私のベースはそれがきっかけ。

立河:担任の先生が千夏さんの素質を見抜いて、場を与えてくれたことで自信がついてきたんですね。

千夏:そう。でも基本的には両親のおかげね。とても穏やかでよくできた大人の両親なので、愛を受けて大事に育てられたと思います。小さい頃は私の体が弱かったこともあって、大事にされすぎてナイーブな部分もあったと思うけど。

立河:中高生の頃は?

千夏:中学では格好良いという理由だけで、突然剣道部に入ったの。入部すると、部員は小学生の頃からやっている子ばかりだったから強いし、私は相変わらず細くて他の子に比べると体力はなかったんだけど、頑張って道場に通い、15歳になってまもなく剣道2段まで取ったのよ。

立河:2段まで取ったの?すごい! 昔から目標があると突き進む女子だったのね。

千夏:あまりにも大変すぎて、2段取った途端にやめたけどね。(笑)

立河:目標を達成するのは素晴らしいことです。そして高校生は?

千夏:とりあえずテニス部に入ってみた。(笑)

立河:花形だね。

千夏:1年の夏合宿までは頑張ったの。背が高かったから、試合にもよく駆り出されてたのね。ダブルスで試合に出てたけど、その後幽霊部員になってクビになっちゃった。(笑)

立河:あら。千夏さんでもそんなことがあったんですね。

千夏:部活はやめて、帰宅部になったけど、ちょうどそのころ、父があるデパートの立ち上げの仕事をしていて、その縁があって高校1年の夏休みからそのデパートにある洋服屋さんで販売のアルバイトを始めたの。今思うと、そんな若い女の子にデパートでの販売員なんてよくやらせるよね。(笑)

MY HERO’S INTERVIEW

立河:今の時代だと、デパートの洋服売り場にそんな若い店員さんは見かけないよね。ちなみに、千夏さんのこの社交性って、子供のころからあったの?人見知りはしなかった?

千夏:多分あったと思う。私はマイペースだし、鈍感じゃない?いろんなことに気がつかない。みんなで遊んでいてもいつまでも砂場で穴掘っていて、気がついたらみんな帰っちゃって周りに誰もいないみたいな、そんなタイプ(笑)そんな感じで自分の世界を持ってるんだと思うの。少なからず幼少期は人見知りをしていたのかな?とは思うけど、本当に私が変わったのはやっぱり小学5年生の時だよね。

立河:元濱先生は恩師ですね。そういう出会いって人生を大きく左右させますよね。私も小学校高学年の時の担任が恩師だなぁ。でも私は人見知り。子供の頃からそのまんま大人になっちゃって、克服することなく人見知りのまんまの大人。(笑)だからね、千夏さんみたいに、初対面の人といきなり話すってすごく勇気がいることなの。(笑)

千夏:あははは。私、よく「直球型ですよね」って言われる。

立河:知らない人にも臆さず話しかけていくよね。(笑)その後の進路は?

千夏:高校3年までバイトに励んでいて、進学のことなんて最後まで真剣に考えてなかったのね。さすがに担任の先生にお尻を叩かれて、推薦枠含めいろんなアドバイスされたの。でも勧められる進路はピンとこなくて。みんな受験準備をしている中で、私は年が明けてからようやく、祖父の勧めで、御茶ノ水に英文科、秘書課、社会福祉課が専攻できるYWCAって女子校の専門学校になんと一般で受験することになるのよ。本当は推薦もあったのに、もたもたしてそのタイミングを逃し、すごく難しい試験を必死に受けたの。論文も英語で書かなきゃならない、面接も英語でしなきゃならない。試験結果は、「鈴木さんはテストの結果は最下位だったんですけど、面接が非常によかったので合格にしました。」って。なかなか言われないコメントよね(笑)

立河:大変な思いをして入学した専門学校。無事卒業できましたか?(笑)

千夏:なんとかね。(笑)卒業は学科ではなく、英文タイプのタイピング数がなかなか出せず追試追試。卒業式間際にギリギリでやっとパス。今度は就職ってことになるのよね。専門学校の卒業もギリギリなもんだから、就職活動もしてないわけ。(笑) 同級生は外資系や商社に就職が決まってる中で、これもまた高校の時と同じことしてるのよ。先生たちにせっつかれても全くピンとこず、しまいには諦められて、就職する気がないんだなと思われて。 でもね、この時、先生から大事な言葉をいただいたの。「あなたは人に対しての第一印象が素で入っていける。それは特技だからそれを活かした仕事に就くといいわよ。」って。結局就職先は決まらないまま、卒業したのね。

立河:まさに!先生は千夏さんのことよく見てらしたのね。

千夏:バブルだし、実家住まいだったから困っていないのよね。甘いなと思う。でもやる気はマンマンなの。いろんなことにトライしたいから、バイトにも精を出すし、何かあれば本気で頑張るんだけど、それをどの職種でどう出していいのかわからなかったの。

立河:溢れんばかりのパワーだったのね。

千夏:そうなの。英語だって仕事に活かせるほど話せたわけでもないしね。

立河:とは言っても日常会話くらいはできたでしょう?

千夏:そうね、旅行くらいはできたかもしれない。でも、2年間勉強したはずの人が旅行の英語程度しか話せないってダメよね。(笑)

立河:あははは。耳の痛い話で…(笑)

取材/文 タチカワ ノリコ
Photo Takeru

MY HERO’S INTERVIEW

To be continue Vol.2

MY HERO’S INTERVIEW

⇒【バックナンバー】