MY HERO’S INTERVIEW

GUEST プロフィール
宮前真樹
1973年生まれ。 ル・コルドンブルーディプロム/江戸懐石近茶流研修科終了/ジュニアスーパーフードマイスター/フードアナリスト3級/食の検定2級/食育インストラクター/野菜ソムリエ資格保有/ 子供食育教室講師・レシピ考案など『食』をメインに活動中。
2010年に青山にカフェレストラン「M.Nature」をオープン。
http://mnature.jp/
2016年〜有機野菜にこだわったサラダカフェ、「代官山サラダ」全てのプロデュースを手掛る。
http://daikanyamasalad.com


真樹ちゃんとは前職でよく一緒にお仕事をさせてもらった仲間。お互いに同じように悩み、決断し、次のステップに進んでいます。今回、共通の友達を介してのご縁で久しぶりに再会できました。相変わらずの可愛さ!久しぶりとは思えないほど楽しくお話させていただきました。

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NO.2 居場所探し。

立河:真樹ちゃん、子供の頃はどんな子だった?

宮前:子供の頃は本を読むのが好きで、中でも「ナイチンゲール」に影響を受けたの。それで赤い羽根募金などのボランティアをして。中学ではボランティアクラブに入って、3年間地域のお掃除をしたり、老人ホームや障害者の運動会のお手伝いなどもしてました。「ディズニー」の物語も好きだったな。でも、そもそもは子供の頃から心を閉ざしてる子だった。(笑)

立河:ボランティア活動する優しい子で、心を閉ざしてるって。(笑)

宮前:親でさえ、私が何を考えてるかわからなかったのね。本当に口数が少なくて思ってることを言葉にできない子でね、だから本を読んで頭の中で空想するのが好きなの。

立河:一人っ子?

宮前:ところが3姉妹の真ん中。

立河:なるほどー。(笑)

宮前:・・・ってなるでしょう?(笑)幼稚園の時もみんなが遊んでるのしか覚えてないの。自分は仲間に入らず、いつも客観的にみてたからなんだよね。小学生の時も一緒に遊んでたお友達はいるんだけど、どこか気持ちは一人ぽっちだったなぁ。中学生の頃も目立つグループにいたりするんだけど、でもなんだか一人なんだよね。そんな私だからいつも自分の居場所はどこなんだろうって思ってるのね。きっと居場所を見つけるために、人と関わってるんだろうね。

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立河:その真樹ちゃんがアイドルになったのはどうして?人に夢を与えたいとか?

宮前:そんなのも全然ないの。ただ、子供の頃からアイドルに憧れていたの。聖子ちゃんやキョンキョンが好きで、ふわふわの衣装が着たい。ただそれだけ。

立河:いつも客観的に見てた真樹ちゃんが、そこばかりはテレビの中に自分を投影していたんだね。そして16歳からアイドルグループで活躍して、歌やお芝居、後半はバラエティに引っ張りだこだったよね。どうして引退したの?

宮前:奇跡的に思いが叶ってアイドルになって、やりたいと思ってたことが全部できたのね。そのあとグループが解散することになって21歳の時に、もう満足してたのね。24歳くらいまでは似たようなお仕事を継続させてもらいながらバラエティをやってたから楽しかったの。でもバラエティ1本になった時に「無理」って。(笑)みんな私にバラエティが向いてるとか、楽しそうにやってるとか言うけどね。現場はおかげさまで色々と気にかけてもらって、共演したみんなや先輩たちにも可愛がってもらえたことは私にとって宝物なんだけど、そうなる程に番組で周りの期待に応えられず何の役にも立てていない自分を感じていて、今日もあれもこれもできなかった、もっとこうすればよかったって反省してね。それを次に活かそうと思えなくなっちゃった。ただ反省して落ち込む一方だったのね。

立河:あぁわかる。自分がそこにいる意味がわからないから苦しくてたまらないよね。才能ないのかなって。しかもいつも矢面に立って評価される立場だからね。

宮前:そう。だからもう辛いじゃない?でもずっと笑ってなくちゃいけないし。アイドル時代を応援してくれてた人からは、なんでバラエティにでるんですか?とか言われちゃう。アイドルだった私を好きでいてくれてるから、バラエティに出てると終わったよね、とも言われちゃう。そんな言葉ばっかりが耳に入ってくるの。もちろんそうじゃないたくさんの人たちも応援してくれてるんだけどね、ネガティブな声が聞こえてくると、自分の方向性に疑問が出ちゃったりするのね。まだアイドルから上手く気持ちが切り替えられていないからね、些細なことで心を乱されて傷ついたりするのね。25から28歳くらいが厳しかったなぁ。

立河:あー、その辛い時に私たち一緒に仕事してたんだね。

宮前:そうだね。とにかく自分に自信がなかったの。「認めて欲しい願望」がすごくあった。ずっと低い評価ばかりが気になってたから自分のやってることに自信がなかったのね。だから芸能界が生き辛くて私には向いてないって思ってたから辞めたかった。辞めたらそういうところから解放されると思ったの。

立河:わかるなぁ。それは、「居場所が欲しい願望」とも言うよね。

宮前:うん。28歳くらいで自分の居場所探しが始まるの。ここじゃないかもしれないって。全部捨てて逃げたいって気持ちがあったよね。そしたら新しい何かが始まるんじゃないか?って願望ね。辞めたいなと思うようになったらやっぱりちょっと体のバランスもおかしくなっちゃってね。起きられなくなったり蕁麻疹ができたり。病院に行っても原因はストレスだから今の仕事を変えたら治りますよって言われるの。でも変えられないじゃない?それで何年も考えて急に30歳の時に、今だ。辞めようって決心したの。

立河:女性の30歳って人生の分岐点として意識する年齢だよね。

宮前:うん。人生変えようって。でもやめた時は逃げちゃダメ、なんで逃げるの?って言われたこともあった。

立河:それはさ、逃げる=努力しない、ではなくて、そこはもう居場所じゃない、自分の生きる道を変えて次のステージに行く決意をしたということじゃない?だから意味が違うよね。 もうそこでは頑張れない自分がいるのに惰性でいることの方が逃げてると思う。 ところで真樹ちゃんは十代から女性として成熟していく大事な時期に芸能界という特殊な世界にいたじゃない?引退してから一般社会に入ったときのギャップやショックってあった?

宮前:ショックでいうと、私って本当に何にも知らないんだなと思った。(笑)それこそ地下鉄の乗り換えがわからないの。だから当時最後についてくれていたマネージャーさんにどこからどこまで行きたいんですけど、何線でどうやっていけばいいですか?って聞いて、教えてもらった行き方をメモに箇条書きして、それを握りしめて電車に乗ってた。(笑)

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立河:あははは。私なんて未だ電車に乗る時はキョロキョロしてるよ(笑) この間なんて電車に乗り換える時真樹ちゃんに連れて歩いてもらったもんね。(笑)

宮前:当時から電車に乗っていなかったわけではないんだけど、基本的には朝起きて顔洗って歯磨きしたら、家の目の前にマネージャーが迎えに来てくれてるからそのまま出かけて、また移動中に寝て、現場に着いたらヘアメイクさんやスタイリストさんがキレイにしてくれるっていう生活だったのね。 だからたまには電車に乗るけど、プライベートな移動は自分で車を運転してたので公共の交通機関がわからなかったんだよね。だからね、あまりにも知らなすぎて恥ずかしいよねって思った。(笑)

立河:辞めたばかりの時に気づかれたりして困ったことはなかった?

宮前:気づかれたのとはちょっと違うんだけど、地元に行ってたまたまバスに乗ってたら後ろにいた女性二人が、偶然なんだけど私の話を始めたの。ここって宮前真樹の地元なんだよねー、から始まってそこから私の悪口。(笑)うちのお姉ちゃんの旦那さんの実家が中華料理屋さんをやっていたんだけど、お父さんの体調が悪くてお店を閉めることになったのね。それを、「宮前真樹、売れてないからあそこの中華屋も潰れたらしいよ、最近テレビで観ないしね。」って。(笑)「どうかここに私がいること、気づかれませんように」って。(笑)

立河:見ないのは引退してるからなんだけどねー。(笑)


取材/文 タチカワ ノリコ
Photo Kaoru Yamamoto

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To be continue Vol.3

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